一歩後ろから見守るということ

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今日は、子育てについて

少し書いてみようと思います。

私には、この春で年長さんになる子供がいます。

長年、生きづらさを感じていた私にとって、

子育ての場面でも

気持ちが大きく揺れることがたくさんありました。

たとえば、幼稚園に入園した頃。

私の目の届かない場所で

子供が生活することが、とても不安でした。

きっと、どの親も一度は思う気持ちだと思います。

でも私の場合は、

その不安が「心配」で止まらなくて。

まだ起きていない未来を、

まるで今起きていることのように想像してしまう。

そしてその想像に、

自分の気持ちまで引っ張られていく。

お友だちと仲良くできるかな。

困ったら先生に話せるかな。

寂しい思いをさせているんじゃないか、とか。

そんな「もしも」で、

頭の中がいっぱいになっていました。

幼稚園生活に慣れてきた頃。

子供が、お友達から嫌いと言われたと

話してくれたことがありました。

私は胸がギュッーっとなって、

なんとも言えない気持ちになったのを

よく覚えています。

当の本人は

事実を報告しただけ、というか

悲しそうな様子も特別になく。

「嫌い」という意味も

あまり深く考えていない感じで。

私は心配でたまらなくなって

子供に、その時の状況を

取り調べのように聞いてしまい

後から反省しました。

それから何日かは、

モヤモヤがおさまらず。

悩んだ末、先生に相談したときは

つい想いが溢れて涙してしまいました。

でも今振り返ると、

当時の私は

自分の気持ちと

子供の気持ちを

重ねすぎていたんだと思います。

私は昔から、些細な一言に

たくさん傷ついてきました。

それこそ、

私の子供と同じくらいの

年齢の時のことでさえ、

こう言われたから、と

ハッキリと覚えていませんが

その時の胸の痛みは、思い出せてしまいます。

物心がついたときから、

学生、社会人になり大人になったときまで

ずーっと。

だから、自分の子供がこの先、

私が感じてきたみたいに

たくさんの傷つく経験をすると思うと

とても悲しくなってしまって。

でも最近は、

その未来を、私の痛みで

塗りつぶさないように

意識するようになりました。

そう思えたのは

何か特別なきっかけが

あったわけではなくて。

本当に、ささいな出来事の積み重ねでした。

入園直後、行き渋りで泣いていたけれど

先生からは

「一日中泣いているわけではありませんよ」

と聞いたこと。

「嫌い」と言われたあとも、

しばらくするとまたその子の名前を

楽しそうに話していたこと。

発表会や運動会では

私の心配をよそに、

「楽しみー!」と堂々としていたこと。

そして、あるとき。

クラスで、

先生が近くで見守ることの多いお友だちと

ペアを組む場面があったそうです。

先生から、ペア組んでくれる子いる?

と聞かれたときに

うちの子が、手をあげたと聞きました。

私は正直、少し驚きました。

もし自分だったら、

迷ったり、不安になったりしたかもしれない。

でも子供は、

特別な意味づけをするでもなく

「やってみる」と手をあげたようで。

その話を聞いたとき、

あぁ、この子は私とは違う視点で

世界を見ているのかもしれない、

と思いました。

子供は、私とは違う。

同じ出来事でも、

同じように感じるとは限らない。

子供の反応を、素直に受けとること。

そして、もし本当に助けを必要としてきたときに

そっと手を差し伸べられるように。

今は、一歩後ろに下がって

子供を見守る練習をしています。

今日はここでおしまいです。

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

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