いつのまにか作っていたルール

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ー 友達という言葉が重たく感じていた理由 ー

私は昔から、

「友達」という言葉を

少し重たく感じていました。

一緒に過ごす時間が長くなるほど、

相手の嫌な部分が見えてくることがあって。

今考えてみれば、それは

相手が悪いというよりも、

価値観の違いなことが

ほとんどだった気がします。

「私はそれ、嫌い」と

少し否定されただけで

胸がズキっと痛んだり。

私はそんな風に言わないのになぁ、、、と

ただ相手は意見を伝えてるだけなのに、

ちょっとした価値観のずれを

引きずってしまう自分がいました。

それでも、

どこかで違和感を感じながら

その気持ちを悟られないように

一緒に過ごしている自分に

罪悪感を持ってしまうこともありました。

それから、

相手からの好意を感じたときに、

自分は同じ熱量ではないことに

気づいてしまうこともあって。

例えば、

よく遊びに誘ってくれる人に対して、

本音はひとり時間を優先したいのに

次は私が誘わないと!と、

なぜか使命感を感じて

息苦しくなってしまったり。

そのたびに、

少し申し訳ないような気持ちになります。

そういう気持ちが積み重なると、

「友達」という言葉に

どこか責任のようなものを

感じてしまって。

だから私は、

その言葉を使うことに

少し慎重になってしまったんだと思います。

こうして振り返ってみると、

もしかしたら私は

「友達」というものに対して

自分なりのルールを

作ってしまっていたのかもしれません。

きっと子供の頃は、

そこまで区別して

人と関わっていなかった気がします。

ただ一緒に遊んで、

同じ時間を過ごして。

それだけでよかったはずなのに。

小学校高学年の頃、

習い事をきっかけに

いわゆるグループのような関係ができて。

その中で、

「本心がわからない」と

言われたことがありました。

そのとき私は、

友達というのは

本音で話し合える関係のことなんだ、と

なんとなく理解して。

それから少しずつ、

自分の中で

「友達とはこういうもの」

というルールができていきました。

それが、

今感じている重たさに

つながっているような気がします。

でも最近は、

無理に言葉で分類しなくても

いいのかもしれない、と思うようになりました。

子供の頃のように、

ただ一緒に過ごして、

心地いいと感じる関係を

大切にしていけたらいいな、と

今は思っています。

今日はここでおしまいです。

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

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